Tale of kiwi

ニュージーランド留学の経験についてシェアしていきます!

JPとNZの想い

2018年も残り6カ月をきり、平成も来年で終わってしまうのは、なんだか寂しくなりますね。平成も30年、これまで自分がやってきた出来事や経験が思い出のように過ぎていきます。最近、留学の話をする事が多いので、経験を少し話せればと思います。

 

 さかのぼる事2006年(平成18年)に、東京の国分寺にある明星高等学校を卒業しました。中学校からそのままエレベーターの様に中学、高校、そして大学は明星学校で学んでいました。当時から語学には興味はあり、高校2年生の夏に初めてニュージーランドへ行きました。ほとんど母から強制的な感じ(自分が思うに)で勧められました。兄がいるのですが、兄もニュージーランドの高校へ進学したのもあり、海外という外の環境を勉強してほしいという考えがあったのかと、今は思います。言われるがまま17歳(高校2年生)の時に2週間ニュージーランドのタウポという町へ留学しました。

 何も分からず、当時は親の行く所、兄の行く所、そして自分の意思で何かすることがあまりなかったため、渡航当日やニュージーランドへ着いてからも恐怖や不安でいっぱいだったことを覚えてます。現地の人が言ってることに分からず、ただうなずいていた自分を思い出しますw ホームステイ先に着いてもあまり意思疎通ができず、部屋にこもってました。持ってきていた学校の夏休みの宿題を黙々とやっていたかと思いますw 最初の数日間はとりあえず家に帰りたいと強く思ってました。いわゆるホームシックというやつですね。

 

ある日、兄が様子を見に来てくれました。兄は高校留学中であり、母よりお願いされたみたいです。そこでホームステイのお母さんやお父さん、そしてルームメイトも1人いたので、5人で食事をすることになりました。食文化(朝食や夕食)や日本での生活の違いなど話し合い、盛り上がっていたのを覚えています。

そこである出来事がおきました。食事中私がお皿を持ち上げ、すするように食べ物をかきこみました。日本ではみそ汁や丼もの等、お皿、またはお椀を口にあてて食べました。その時、兄が急に怒りだし「お前は行儀が悪い」と一蹴されました。何を言っているかも分からず、また皆の前でもあったので恥ずかしい思いをしました。兄は日本でやっていい事、海外でやっては行けない事があると言われ、周りは苦笑いだったかと思います。その日は食事が終わった後、兄は帰りました。自分の中ではモヤモヤな気持ちだけ残りました。

また違う日、語学学校が終わったあと友達と夕飯を食べて帰るとホームステイのお母さんに伝えた時に「何時に帰ってくるの?」と聞かれ、「Maybe....」と言葉の始め言った瞬間、怒鳴られました。あいまいな発言に怒られました。日本ではよく「だいたい〜時に帰るから」とか「たぶん〜時に戻ると思う」等の感覚で言ってしまいました。私がホームステイしていた所は、小さな赤ちゃんもいたためお母さんは時間を把握したかったのもあるかと思います。

 そんな事もあり、2週間はあっという間に過ぎていきました。学校では勉強の他にアクティビティもあり、様々な日本ではあまりできない体験をしました。2週間で多くの友達もでき、自信をつけ帰国しました。その後は日本の学校へ戻り高校の友達に写真を見せ、自慢していたのを覚えていますw 

そこからはニュージーランドへの意識が強くなり、大学2年生の時には1カ月間ニュージーランドオークランドへ行き、大学在学中に1年間の語学研修にも参加しました。日本の大学卒業後、本格的にニュージーランドの大学へ進学しました。

ニュージーランドは私の人生の中で大きく影響しています。

 

私は、日本の中、そして家族の中というルールの中でしか自分を知らず、右も左もわからず当たり前のような言動を平然と行っていたことに衝撃を受けました。ニュージーランド留学が外の世界や物事への興味や知識を感じられ、日本外の文化を知りたいと思いました。ニュージーランドの大学の事は別のブログでまた話していきます。