Tale of kiwi

ニュージーランド留学の経験についてシェアしていきます!

ホームステイの思い出

8月も中盤に入り暑さも一段と暑くなりましね。最近は異常な暑さです。

学生も夏休みで短期間の海外留学へ行く人も多くなりましたね。学生の海外生活の話を聞くとNZの生活を思い出します。なので私のNZでのホームステイ経験を話していこうと思います。

NZでは友達と住んだり、1人で住んだりしたこともあるんですが、NZにいた期間はほとんどホームステイを利用してました。

最初は英語に早く慣れたいとか、英語の勉強できる環境を自ら作りたい等、理由がありましたが、大きな目的としてNZ家庭の生活、食事、習慣を知りたかったからです。日本ではもちろん、各家庭によってルールや生活は違いができてきます。NZは多国籍でアジア、ヨーロッパ、または先住民家系のマオリの家庭もあるので、様々な体験ができると思いました。

 

最初のホームステイは『インド系フィジー人の老夫婦の家庭』

家の中では宗教で使う物やその壁掛け等、オリエンタルな感じでした。キッチンへ行くとカレーを作るためのたくさんの調味料、ナンを作るための調理道具等がありました。カレーの味は抜群のおいしさで、毎日違う種類のカレーを食べました。なぜかこの家庭ではチャーハンが出るのですが、これがハマってしまう程のおいしいチャーハンですw

夫婦は優しく接してくれてよかったのですが、過保護なため何から何もで介入してきました。またインターネットが使える環境ではなかったので、配線会社を紹介してもらい自分で契約してネット設定も行いました。意外と毎月のネット使用料が高くすぐ解約したのを覚えています。例えば、各家でのネット契約は異なりますが、ホームステイ代とは別に約5ドル〜10ドルを支払います。しかし自分で設置した時には月32ドルも払ってました。最初のホームステイでもあったので、それが普通だと思いました。言葉も私と喋らない時はフィジー語で話していたのもあり、半年でホームステイを変えました。

 

2回目に行った家庭は『サモア系NZ人』

こちらは友達の紹介をもらい、半年間住ましてもらいました。築100年以上の家で他の家と比べるとボロボロ感が多く、歴戦のホコリ達がすごすぎました。こちらの夫婦も優しく、多くの学生が住んでいた歴史があります。なので、過去に住んでいた学生もよく来たり、ホームステイ代も交渉ができました。インターネット環境は良く、無料で使わせてくれました。特に問題はなく、干渉もほどほどで英語も頻繁に使う事ができたので良いイメージしかなかったです。ただ、一点このホームステイに来た事によってある病気を診断され、約2カ月間隔離され語学学校から通学を拒否されました。それはまた今度の記事にて載せます!

この時は日本の大学に在学中で、通年の留学だったので、残りの半年もホームステイに移り、その後帰国となりました。

 

3回目は『オーストラリア人シングルファーザー』

日本の大学卒業後、NZの大学に進むべくNZに戻って来て、再度ホームステイを選びました。3度目の家庭は片親で二人の息子がいました。(ホームステイを決めた時に離婚調停中のためお母さんは出てます)

学校より家が近く5分以内に着く事ができたので、かなり好立地だと思いました。息子はかなりヤンチャで勝手に私の部屋へ入り、私の私物を取っていくことは多くありました。本人達は冗談のつもりでやってるらしいですが...。ここでNZ高校生の外国人ノリを経験しました。ホストのお父さんは優しいのですが、基本放ったらかしなので、食事の準備はなく、勝手にやる感じでした。料理はおいしくないし、作ってもらった時は無理矢理に食べないと申し訳なかったので、自分で作った方がおいしかったです。それはそれで良かったかな。

突然その日はきました。お父さんから「家を競売に出したら」と言われ家を出て行かなければならなくなりました。2〜3カ月の滞在でしたが、自由に楽しくやらしてもらいました。

 

4回目に行った所は『オランダ人老夫婦』

ホームステイのお父さんが勝手判断し、退去となったので、学校よりすぐに次のホームステイの紹介がありました。初めてヨーロッパ系の家になります。家の中はスッキリし、整理整頓され、ホテルのような家でした。 毎晩の食事はフレンチかイタリアンのどちらかで必ずワインを飲んでました。ワインの種類も豊富で小さなワインセラーもありました。だけども家庭のルールが今までで一番厳しかったです。シャワーの時間はもちろん食事の時間学校へ行く時間を口酸っぱく言われていました。部屋の匂いにも敏感で常に換気するよう言われていました。その当時は車を運転していましたが、駐車スペースの問題、夜の帰宅時間等で中々ソリが合わず出て行くよう言われました。

 

最後は『NZ生まれのNZ育ちの夫婦(ヨーロッパ系)』

こちらのホームステイに行く前は部屋を借りて1人で住んでいましたが、やはり誰かと一緒にすみたいと思い、ホームステイに戻ることにしました。その時初めて知ったのですが、ホームステイへ移る際に学校へ紹介料、約200ドル近く払わないといけませんでした。過去にホームステイへ移る際に一度も聞いた事のなかった支払いです。今までは、友達の紹介、家が突然なくなる等で移ったため、紹介料が発生していなかっただけで、今回初めてその料金が発生しました。(最初のホームステイは学校との契約のためホームステイ紹介料は入っていたみたいです)通常はコロコロと変わるものではないため非常に高い料金となってしまいました。紹介料(約200ドル)+ホームステイ代(約300ドル)+各家庭でかかる使用料(インターネット料金等)が初回の負担です。

そして養子の子が3人と犬3匹、そしてお父さんお母さんの大家族の家庭へ移ることになり、そこでは1年半という今までで一番長いホームステイ期間の滞在でした。

 

他にも友達のホームステイ宅へ食事に行く事もあったので、マオリ人宅にもお邪魔したこともありました。結果、お金をあまり使わずにいくなら友達とルームシェアして住んだ方が経済的な暮らしができたと思います。しかし、限られた海外大学生活の時間をNZ家庭で過ごせたことは良い経験になりました。各家庭ではイベントごと(クリスマスや年末年始等)に遠出や親戚の家へ行くので、それに付いて行く事も多かったです。その経験は友達といるだけでは味わえないことだったので、私にはすばらいい体験でした。

NZ大学入学までの葛藤

ちょうどあと2年で東京オリンピック。1964年の第18回夏期オリンピックに続き、今回は32回夏期オリンピックになります。50年以上ぶりともあってやはり期待されますよね。これからまた外国人の観光客も増え盛り上がっていきそうですね。

ちょうど2010年の今頃(7月)、はニュージーランド、マッセイ大学進学コースがスタートした時期になりますね。この頃はかなり気合いが入っていた時だと思います。

 

私が本格的に大学留学を目指した時は、2008年〜2009年、留学研修を1年間ニュージーランドへ行っている間になります。1年間の留学中に様々な経験をしたのですが、いざ帰国が近づいて行くにつれ就職の言葉がずっと頭の中にありました。私は、就職の事を何も考えておらず、NZ生活に没頭していました。日本へ帰国する3カ月くらい前に土産話も含め、マッセイ大学の受付にある学部・学科のパンフレットを物色していました。その時に「Media Studies」という学部に興味を持ちました。マッセイ大学は獣医医学、航空学、農業学、そしてデザイン学 等多くの学部と学科があります。当時は映画を見る事が趣味であり、海外映画をほぼ毎日見ていました。そのこともあり「Media Studies」の学部はどのようなことをするのか興味津々でした。

学校のパンフレットを持ち帰り、様々な学部・学科に目を通し、ホームステイのお父さんお母さん、そして語学学校の友達(マッセイ大学進学する)やスタッフへも相談しました。その後は、マッセイ大学進路指導室の専属スタッフとも相談し、新たに大学進学をしようと決意しました。

 

日本へ帰国後、早速大学へ入学するための準備を始めました。

しかし、父や兄は留学に反対し、母だけが賛同してくれました。就職活動をするという事、もう学生気分ではいられない事、社会に目を向けて自分で生活していかなければならない等、いざ反論すれば社会を知らないからと一蹴されました。

正直、今から何をしたいとか、何かやり遂げたいとかは頭に無く海外の大学で学びや多くの体験をしたいという事だけで頭はいっぱいでした。

何度も留学の話題を持ち出しては、持って帰って来た学校資料、現地の人達にも相談した事、自分の考えている事や思いを伝えても「社会に出ろ」の一点張りでした。

 

私はあきらめられなく、行動で伝え続けました。

始めは、マッセイ大学の入学窓口へ連絡を入れ、入学に向けた情報を収集しました。入学申請、学生ビザの取得、入学テスト、高校卒or大学卒の必要な卒業認定書 等、やることは多かったです。時には直接現地へ電話してより細かい情報を聞き出し、より確実な情報を得ながら入学に向けて動きました。

そうしたことから大学留学の情熱や中途半端な考えではないと感じてもらえてのか、徐々に理解してもらい、最終的には応援してくれるようになりました。

 

日本帰国後は大学4年生であり、周りの友人は就職活動中心に動いていましたが、私は黙々と入学テスト(IELTS: International English Language Testing System)の勉強の毎日でした。日本の大学には、外国人と話せるラウンジがあり、スピーキングやリスニング、時にはライティングの確認してもらうよう毎週3〜4日足を運んでいました。IELTSは4回目にして進学可能ラインの点数を得て、ニュージーランドの大学進学コースへの入学許可書を取得しました。

平行して大学とも連絡を常にとり入学申請書の作成、健康診断書の作成のためニュージーランドを対応できる病院へ行ったり、無犯罪証明書を作成するために警視庁へ行ったり等、通常業者で依頼できることをすべて1人で行いました。

様々な努力により大学卒業前に渡航準備が完了しました。

大学の卒業の表彰式では嬉しい出来事がありました。日本の大学とマッセイ大学は提携校であり、事前に入学可能の連絡を受けたらしく、卒業証書と共にマッセイ大学の入学証書を受け取りました。(郵送にて現地から同じ物を受け取りましたw 手違いで2通送っていたらしいですw)

 

その後、大学進学コースが始まる2カ月前(2010年5月頃)にニュージーランドへ語学準備のため早めに行きました。そして7月より無事コースが始まりました。厳しい状況のなか、背水の陣にて私のやりたい事を貫き通しました。大学へ進学の流れになるのですが、更なる試練が待ってましたね。なんだか色々と思い出しますねぇ...

 

 

 

JPとNZの想い

2018年も残り6カ月をきり、平成も来年で終わってしまうのは、なんだか寂しくなりますね。平成も30年、これまで自分がやってきた出来事や経験が思い出のように過ぎていきます。最近、留学の話をする事が多いので、経験を少し話せればと思います。

 

 さかのぼる事2006年(平成18年)に、東京の国分寺にある明星高等学校を卒業しました。中学校からそのままエレベーターの様に中学、高校、そして大学は明星学校で学んでいました。当時から語学には興味はあり、高校2年生の夏に初めてニュージーランドへ行きました。ほとんど母から強制的な感じ(自分が思うに)で勧められました。兄がいるのですが、兄もニュージーランドの高校へ進学したのもあり、海外という外の環境を勉強してほしいという考えがあったのかと、今は思います。言われるがまま17歳(高校2年生)の時に2週間ニュージーランドのタウポという町へ留学しました。

 何も分からず、当時は親の行く所、兄の行く所、そして自分の意思で何かすることがあまりなかったため、渡航当日やニュージーランドへ着いてからも恐怖や不安でいっぱいだったことを覚えてます。現地の人が言ってることに分からず、ただうなずいていた自分を思い出しますw ホームステイ先に着いてもあまり意思疎通ができず、部屋にこもってました。持ってきていた学校の夏休みの宿題を黙々とやっていたかと思いますw 最初の数日間はとりあえず家に帰りたいと強く思ってました。いわゆるホームシックというやつですね。

 

ある日、兄が様子を見に来てくれました。兄は高校留学中であり、母よりお願いされたみたいです。そこでホームステイのお母さんやお父さん、そしてルームメイトも1人いたので、5人で食事をすることになりました。食文化(朝食や夕食)や日本での生活の違いなど話し合い、盛り上がっていたのを覚えています。

そこである出来事がおきました。食事中私がお皿を持ち上げ、すするように食べ物をかきこみました。日本ではみそ汁や丼もの等、お皿、またはお椀を口にあてて食べました。その時、兄が急に怒りだし「お前は行儀が悪い」と一蹴されました。何を言っているかも分からず、また皆の前でもあったので恥ずかしい思いをしました。兄は日本でやっていい事、海外でやっては行けない事があると言われ、周りは苦笑いだったかと思います。その日は食事が終わった後、兄は帰りました。自分の中ではモヤモヤな気持ちだけ残りました。

また違う日、語学学校が終わったあと友達と夕飯を食べて帰るとホームステイのお母さんに伝えた時に「何時に帰ってくるの?」と聞かれ、「Maybe....」と言葉の始め言った瞬間、怒鳴られました。あいまいな発言に怒られました。日本ではよく「だいたい〜時に帰るから」とか「たぶん〜時に戻ると思う」等の感覚で言ってしまいました。私がホームステイしていた所は、小さな赤ちゃんもいたためお母さんは時間を把握したかったのもあるかと思います。

 そんな事もあり、2週間はあっという間に過ぎていきました。学校では勉強の他にアクティビティもあり、様々な日本ではあまりできない体験をしました。2週間で多くの友達もでき、自信をつけ帰国しました。その後は日本の学校へ戻り高校の友達に写真を見せ、自慢していたのを覚えていますw 

そこからはニュージーランドへの意識が強くなり、大学2年生の時には1カ月間ニュージーランドオークランドへ行き、大学在学中に1年間の語学研修にも参加しました。日本の大学卒業後、本格的にニュージーランドの大学へ進学しました。

ニュージーランドは私の人生の中で大きく影響しています。

 

私は、日本の中、そして家族の中というルールの中でしか自分を知らず、右も左もわからず当たり前のような言動を平然と行っていたことに衝撃を受けました。ニュージーランド留学が外の世界や物事への興味や知識を感じられ、日本外の文化を知りたいと思いました。ニュージーランドの大学の事は別のブログでまた話していきます。