Tale of kiwi

ニュージーランド留学の経験についてシェアしていきます!

NZ大学入学までの葛藤

ちょうどあと2年で東京オリンピック。1964年の第18回夏期オリンピックに続き、今回は32回夏期オリンピックになります。50年以上ぶりともあってやはり期待されますよね。これからまた外国人の観光客も増え盛り上がっていきそうですね。

ちょうど2010年の今頃(7月)、はニュージーランド、マッセイ大学進学コースがスタートした時期になりますね。この頃はかなり気合いが入っていた時だと思います。

 

私が本格的に大学留学を目指した時は、2008年〜2009年、留学研修を1年間ニュージーランドへ行っている間になります。1年間の留学中に様々な経験をしたのですが、いざ帰国が近づいて行くにつれ就職の言葉がずっと頭の中にありました。私は、就職の事を何も考えておらず、NZ生活に没頭していました。日本へ帰国する3カ月くらい前に土産話も含め、マッセイ大学の受付にある学部・学科のパンフレットを物色していました。その時に「Media Studies」という学部に興味を持ちました。マッセイ大学は獣医医学、航空学、農業学、そしてデザイン学 等多くの学部と学科があります。当時は映画を見る事が趣味であり、海外映画をほぼ毎日見ていました。そのこともあり「Media Studies」の学部はどのようなことをするのか興味津々でした。

学校のパンフレットを持ち帰り、様々な学部・学科に目を通し、ホームステイのお父さんお母さん、そして語学学校の友達(マッセイ大学進学する)やスタッフへも相談しました。その後は、マッセイ大学進路指導室の専属スタッフとも相談し、新たに大学進学をしようと決意しました。

 

日本へ帰国後、早速大学へ入学するための準備を始めました。

しかし、父や兄は留学に反対し、母だけが賛同してくれました。就職活動をするという事、もう学生気分ではいられない事、社会に目を向けて自分で生活していかなければならない等、いざ反論すれば社会を知らないからと一蹴されました。

正直、今から何をしたいとか、何かやり遂げたいとかは頭に無く海外の大学で学びや多くの体験をしたいという事だけで頭はいっぱいでした。

何度も留学の話題を持ち出しては、持って帰って来た学校資料、現地の人達にも相談した事、自分の考えている事や思いを伝えても「社会に出ろ」の一点張りでした。

 

私はあきらめられなく、行動で伝え続けました。

始めは、マッセイ大学の入学窓口へ連絡を入れ、入学に向けた情報を収集しました。入学申請、学生ビザの取得、入学テスト、高校卒or大学卒の必要な卒業認定書 等、やることは多かったです。時には直接現地へ電話してより細かい情報を聞き出し、より確実な情報を得ながら入学に向けて動きました。

そうしたことから大学留学の情熱や中途半端な考えではないと感じてもらえてのか、徐々に理解してもらい、最終的には応援してくれるようになりました。

 

日本帰国後は大学4年生であり、周りの友人は就職活動中心に動いていましたが、私は黙々と入学テスト(IELTS: International English Language Testing System)の勉強の毎日でした。日本の大学には、外国人と話せるラウンジがあり、スピーキングやリスニング、時にはライティングの確認してもらうよう毎週3〜4日足を運んでいました。IELTSは4回目にして進学可能ラインの点数を得て、ニュージーランドの大学進学コースへの入学許可書を取得しました。

平行して大学とも連絡を常にとり入学申請書の作成、健康診断書の作成のためニュージーランドを対応できる病院へ行ったり、無犯罪証明書を作成するために警視庁へ行ったり等、通常業者で依頼できることをすべて1人で行いました。

様々な努力により大学卒業前に渡航準備が完了しました。

大学の卒業の表彰式では嬉しい出来事がありました。日本の大学とマッセイ大学は提携校であり、事前に入学可能の連絡を受けたらしく、卒業証書と共にマッセイ大学の入学証書を受け取りました。(郵送にて現地から同じ物を受け取りましたw 手違いで2通送っていたらしいですw)

 

その後、大学進学コースが始まる2カ月前(2010年5月頃)にニュージーランドへ語学準備のため早めに行きました。そして7月より無事コースが始まりました。厳しい状況のなか、背水の陣にて私のやりたい事を貫き通しました。大学へ進学の流れになるのですが、更なる試練が待ってましたね。なんだか色々と思い出しますねぇ...